
尋根,為了更精彩地活著
ルーツを知れば、人生はより鮮やかになる
Find Your Roots, For a Life More Vivid
Text:Safulo Alik Cikatopay Photo:Toranari Miyada
2016年,有一天我在台北住家的書房讀書寫字,突然接到一通陌生人的電話。對方很有禮貌的語氣用很流利的日語對我說:「我是菊芳的兒子,現在在台灣大學當交換學生,我想見見您。」我聽了之後很驚訝,因為他的母親從來沒有告訴我她的小孩有來台灣唸書。心裡不免擔心是不是專挑老人的詐騙,我就帶著一位侄女一起赴約確認。見面後,我才相信這是真的。他文質彬彬,帶著些許緊張,卻讓人感受到他內心的誠意與渴望。他從我口中第一次得知,我的父母─也就是他的外曾祖父母,是台灣的阿美族人。他聽了以後睜大眼睛,突然發現生命中某個從沒注意到的痕跡。那天之後,他便踏上了尋根之旅。我們開始走訪台東的親戚,還好台東的老人家都會一些卡卡的日語和一個卡卡的中文對話,我偶而從中加以說明,兩人才互相會心的微笑。留學期滿後不久他又來台灣,他說他要認真的了解阿美族,記錄這段從未真正理解過的家族歷史和文化。他說要拍一部影像紀錄,以我為中心作為他尋根的起點。我自己從沒想過會成為什麼紀錄片的主角。但我理解,他要尋找的「根」,不是我這個人,而是我們背後蘊藏的多采多姿的異文化,和那他從未探索過的民族。他剛來時,當時他稱呼師母直呼張詩怡,我們都很驚訝!這才告訴他在阿美族的社會看到長輩都叫Faki,年長的婦女就叫Fayi,比自年長一點的人都叫kaka,這是第一課。之後我介紹跟他同輩的表兄弟姊妹認識,他們很快就打成一片,我只輕輕的搭了橋,誰知他們一下子就那麼親密,直到現在還很熱絡交流,或許這裡面本來就有某些連結。
2023年7月我帶他到豐濱鄉的港口部落,我找了跟他同一個年齡階級(kapot/selal)的家庭寄宿約一週,每天跟著部落的年青人上山下海一起生活,讓他親身體驗阿美族豐年祭的熱情和文化的深邃,或許這也強化了他想要更深入探討阿美族這個民族神秘的面紗。這次的異文化經驗一定對他衝擊很大,激發好奇和想要了解它的願望。其實,我自己的一生也一直在尋找「根」。阿美族是有語言但沒有文字的民族,當我想要追溯家族的歷史時,追不到幾代就沒路可走,心裡總是懊惱。而且因為是母系社會的原故,母系的脈絡還找得到線索,父系一方就非常模糊不清。我在台東成功鎮出生長大,是一個專職的放牛童。上了初中有一年多還沒有教室,十八歲才讀完初中。然後就北漂到台北打拼,靠半工半讀五年才完成高中。後來上大學,靠打工花了更久才完成大學。大學畢業後,在政大上班六年才自費到日本留學,又是半工半讀八年,才取得東京大學的國際學碩士與社會學博士學位。留學期間閒暇之餘就跑圖書館或資料館尋找族譜之類相關的文獻紀錄。人生有時開的玩笑無法理解,我往日本尋找根的紀錄,Tora(這本ZINE的作者)來台灣踏上部落的土地與人相處,找到了珍貴的源頭,他比我幸運。回國後,我投入政治,當了六屆立法委員。這段期間,我一直沒有忘記我是誰,拿日據時代的戶籍謄本試著編寫家族的族譜。我現在退休了,但仍然每天編輯《萌典阿美語線上辭典》,這件事我已經做了快三十年。語言不是工具,而是記憶的容器,是祖靈與未來對話的橋梁,也是最深的根。我們的語言裡,藏著整個阿美族的生活哲學。如果失去了語言,我們就失去了與過去連結的方式,也會失去站穩未來的力量。
當我看到這位孫侄子在他二十幾歲的年紀,就願意踏上一條不容易走的尋根之路,我非常感動。其實這不是浪漫的回憶,而是一種對生命本質的追問。在這個什麼都快速的時代,尋根,是一種抵抗遺忘的勇氣。因為當你知道你從哪裡來,你才能知道你要往哪裡去。因為當你知道你是誰,你才不會被世界定義成別人,因為當你腳下有根,你就能找出自己的方向與力量。我想,這部影像紀錄並不是只有家族的故事,而是一份給所有人的禮物。它提醒我們,不論你來自哪裡、說什麼語言、擁有什麼樣的血統,只要你願意回頭望一眼,那些你以為早已模糊的根,其實一直都在。
阿美語說:
「Misikor a minengneng」
─ 也就是說「重返回去看一看」。我希望這部報告能成為你尋根的起點。
2016年のある日、台北の自宅で見知らぬ番号から電話がかかってきた。受話器の向こうから流暢な日本語が聞こえた。「私は菊芳の息子で、現在台湾大学に交換留学しています。ぜひ一度お会いしたいのですが」。思わず耳を疑った。菊芳からは、一度も息子が台湾に来ているなんて聞いたことがなかったからだ。心の中では、高齢者を狙った詐欺ではないかと疑い、念のため姪を伴って約束の場所へ向かった。実際に会ってみると、どうやら本物らしい。彼は礼儀正しく少し緊張していたが、誠実さと熱意がにじみ出ていた。そして、私の口から初めて、自分の母方の曽祖父母、つまり私の両親が台湾のアミ族であることを知ったのだ。その瞬間、彼の目が大きく見開かれ、それまで気づかなかった何か大切な痕跡を見つけたようだった。そこから、彼の“ルーツ探し”が始まった。私たちは共に台東の親戚を訪ねて歩いた。台東の年配者たちはたどたどしい日本語と中国語で意思疎通ができ、私は時折、言葉を補いながら橋渡し役を務め、そのたびにお互いがふっと笑みを交わすのだった。彼は交換留学を終えてほどなく再び台湾を訪れ、「アミ族について本格的に学びたい」と私に語った。自らの家族史と文化について記録に残すつもりだという。その第一歩として私を中心に据えた映像記録を制作したいと。正直、私は自分がドキュメンタリーの主人公になるなんて夢にも思わなかった。しかし彼が探そうとしている「根」は、私個人ではなく、私たちの背後に息づく異文化、そして彼自身が未だ踏み込んだことのない民族そのものであることを理解していた。来たばかりの頃、彼は私の妻を「張詩怡」と名で呼んだので、私たちは驚いた。その場で、アミ族の社会では年長の男性を「Faki」、年長の女性を「Fayi」、少し年上の人を「kaka」と呼ぶのだと教えた。これが初めての授業だった。その後、同世代のいとこたちを紹介すると、すぐに打ち解け、今でも連絡を取り合う仲になった。おそらく、もともと何かしらのつながりがあったのだろう。
2023年7月、彼を連れて花蓮県豊浜郷の港口部落を訪れた。同じ年齢階級(kapot/selal)の家庭に一週間ほどホームステイさせ、部落の若者たちと共に山へ海へと出かけ、アミ族の豊年祭を肌で感じてもらうためだ。きっと、この体験が彼の中の好奇心をさらに刺激し、民族の神秘的なベールに近づきたいという思いを強くしたに違いない。
実のところ、私自身の人生もまた、常に「ルーツ」を探す旅であった。アミ族は言語はあっても文字を持たない民族で、家族の歴史を辿っても数代前で途切れてしまい、いつも歯がゆい思いをしてきた。母系社会であるため、母方の系譜はある程度たどれるが、父方はほとんど何もわからない。私は台東県成功鎮で生まれ育ち、子どもの頃は牛の世話ばかりしていた。中学校に入っても教室が整備されておらず、18歳になってようやく中学課程を終えた。その後は台北に出て、昼は働き夜は学ぶ生活を続けながら高校を5年かけて卒業した。大学卒業後、国立政治大学で6年間勤め、やがて自費で日本へ留学。そこで働きながら学び、8年かけて東京大学の国際学修士と社会学博士を取得した。留学中は暇を見つけては図書館や資料館へ通い、族譜に関する記録を探した。人生には、時に思いもよらぬめぐり合わせがある。私が日本に渡って「ルーツ」を探す資料を求めていた一方で、Tora(本冊子の編集者)は台湾の部落を訪れ、人々と触れ合いながら、源流を見出していた。彼のほうが、私よりずっと早くたどり着いたのだ。帰国後、政治の世界に入り、6期にわたり立法委員を務めた。その間も、自分が何者かを忘れたことはない。日治時代の戸籍謄本を手に、家族の族譜を編もうとしてきた。今は退職したが、毎日オンライン辞典《阿美語萌典》の編集を続けている。もうすぐ30年になる。言語は単なる道具ではない。記憶の器であり、祖霊と未来をつなぐ橋であり、そして最も深い「ルーツ」だ。アミ語には、民族の暮らしの哲学が詰まっている。言葉を失えば、過去とつながる方法も、未来を支える力も失ってしまう。
二十代という若さで、この険しいルーツ探しの道を選んだ彼の姿は、本当に心を打つ。これは単なるノスタルジーではなく、生命の本質を問い直す行為である。この目まぐるしく変化する時代において、ルーツを辿ることは、「忘却に抗う勇気」なのだ。自分がどこから来たのかを知ることで、自分がどこへ向かうべきかが見えてくる。自分が何者かを知れば、他人に定義されることはない。足元に根を張っていればこそ、人は自らの方向と原動力を見出すことができる。彼のプロジェクトは、単なる一つの家族の物語にとどまらない。それは、すべての人に向けた贈り物にもなるだろう。出自がどこであれ、どの言語を話し、どんな血を引いていようと、ふと立ち止まって振り返れば、かすんでいたと思っていた「ルーツ」は、ちゃんとそこにある。アミ語にはこういう言葉がある。
「Misikor a minengneng」
─「もう一度、振り返って見てみよ」。という意味だ。この記録が、あなたのルーツを探す旅の出発点となることを願ってやまない。
2016年,有一天我在台北住家的書房讀書寫字,突然接到一通陌生人的電話。對方很有禮貌的語氣用很流利的日語對我說:「我是菊芳的兒子,現在在台灣大學當交換學生,我想見見您。」我聽了之後很驚訝,因為他的母親從來沒有告訴我她的小孩有來台灣唸書。心裡不免擔心是不是專挑老人的詐騙,我就帶著一位侄女一起赴約確認。見面後,我才相信這是真的。他文質彬彬,帶著些許緊張,卻讓人感受到他內心的誠意與渴望。他從我口中第一次得知,我的父母─也就是他的外曾祖父母,是台灣的阿美族人。他聽了以後睜大眼睛,突然發現生命中某個從沒注意到的痕跡。那天之後,他便踏上了尋根之旅。我們開始走訪台東的親戚,還好台東的老人家都會一些卡卡的日語和一個卡卡的中文對話,我偶而從中加以說明,兩人才互相會心的微笑。留學期滿後不久他又來台灣,他說他要認真的了解阿美族,記錄這段從未真正理解過的家族歷史和文化。他說要拍一部影像紀錄,以我為中心作為他尋根的起點。我自己從沒想過會成為什麼紀錄片的主角。但我理解,他要尋找的「根」,不是我這個人,而是我們背後蘊藏的多采多姿的異文化,和那他從未探索過的民族。他剛來時,當時他稱呼師母直呼張詩怡,我們都很驚訝!這才告訴他在阿美族的社會看到長輩都叫Faki,年長的婦女就叫Fayi,比自年長一點的人都叫kaka,這是第一課。之後我介紹跟他同輩的表兄弟姊妹認識,他們很快就打成一片,我只輕輕的搭了橋,誰知他們一下子就那麼親密,直到現在還很熱絡交流,或許這裡面本來就有某些連結。
2023年7月我帶他到豐濱鄉的港口部落,我找了跟他同一個年齡階級(kapot/selal)的家庭寄宿約一週,每天跟著部落的年青人上山下海一起生活,讓他親身體驗阿美族豐年祭的熱情和文化的深邃,或許這也強化了他想要更深入探討阿美族這個民族神秘的面紗。這次的異文化經驗一定對他衝擊很大,激發好奇和想要了解它的願望。其實,我自己的一生也一直在尋找「根」。阿美族是有語言但沒有文字的民族,當我想要追溯家族的歷史時,追不到幾代就沒路可走,心裡總是懊惱。而且因為是母系社會的原故,母系的脈絡還找得到線索,父系一方就非常模糊不清。我在台東成功鎮出生長大,是一個專職的放牛童。上了初中有一年多還沒有教室,十八歲才讀完初中。然後就北漂到台北打拼,靠半工半讀五年才完成高中。後來上大學,靠打工花了更久才完成大學。大學畢業後,在政大上班六年才自費到日本留學,又是半工半讀八年,才取得東京大學的國際學碩士與社會學博士學位。留學期間閒暇之餘就跑圖書館或資料館尋找族譜之類相關的文獻紀錄。人生有時開的玩笑無法理解,我往日本尋找根的紀錄,Tora(這本ZINE的作者)來台灣踏上部落的土地與人相處,找到了珍貴的源頭,他比我幸運。回國後,我投入政治,當了六屆立法委員。這段期間,我一直沒有忘記我是誰,拿日據時代的戶籍謄本試著編寫家族的族譜。我現在退休了,但仍然每天編輯《萌典阿美語線上辭典》,這件事我已經做了快三十年。語言不是工具,而是記憶的容器,是祖靈與未來對話的橋梁,也是最深的根。我們的語言裡,藏著整個阿美族的生活哲學。如果失去了語言,我們就失去了與過去連結的方式,也會失去站穩未來的力量。
當我看到這位孫侄子在他二十幾歲的年紀,就願意踏上一條不容易走的尋根之路,我非常感動。其實這不是浪漫的回憶,而是一種對生命本質的追問。在這個什麼都快速的時代,尋根,是一種抵抗遺忘的勇氣。因為當你知道你從哪裡來,你才能知道你要往哪裡去。因為當你知道你是誰,你才不會被世界定義成別人,因為當你腳下有根,你就能找出自己的方向與力量。我想,這部影像紀錄並不是只有家族的故事,而是一份給所有人的禮物。它提醒我們,不論你來自哪裡、說什麼語言、擁有什麼樣的血統,只要你願意回頭望一眼,那些你以為早已模糊的根,其實一直都在。
阿美語說:
「Misikor a minengneng」
──也就是說「重返回去看一看」。我希望這部報告能成為你尋根的起點。
2016年のある日、台北の自宅で見知らぬ番号から電話がかかってきた。受話器の向こうから流暢な日本語が聞こえた。「私は菊芳の息子で、現在台湾大学に交換留学しています。ぜひ一度お会いしたいのですが」。思わず耳を疑った。菊芳からは、一度も息子が台湾に来ているなんて聞いたことがなかったからだ。心の中では、高齢者を狙った詐欺ではないかと疑い、念のため姪を伴って約束の場所へ向かった。実際に会ってみると、どうやら本物らしい。彼は礼儀正しく少し緊張していたが、誠実さと熱意がにじみ出ていた。そして、私の口から初めて、自分の母方の曽祖父母、つまり私の両親が台湾のアミ族であることを知ったのだ。その瞬間、彼の目が大きく見開かれ、それまで気づかなかった何か大切な痕跡を見つけたようだった。そこから、彼の“ルーツ探し”が始まった。私たちは共に台東の親戚を訪ねて歩いた。台東の年配者たちはたどたどしい日本語と中国語で意思疎通ができ、私は時折、言葉を補いながら橋渡し役を務め、そのたびにお互いがふっと笑みを交わすのだった。彼は交換留学を終えてほどなく再び台湾を訪れ、「アミ族について本格的に学びたい」と私に語った。自らの家族史と文化について記録に残すつもりだという。その第一歩として私を中心に据えた映像記録を制作したいと。正直、私は自分がドキュメンタリーの主人公になるなんて夢にも思わなかった。しかし彼が探そうとしている「根」は、私個人ではなく、私たちの背後に息づく異文化、そして彼自身が未だ踏み込んだことのない民族そのものであることを理解していた。来たばかりの頃、彼は私の妻を「張詩怡」と名で呼んだので、私たちは驚いた。その場で、アミ族の社会では年長の男性を「Faki」、年長の女性を「Fayi」、少し年上の人を「kaka」と呼ぶのだと教えた。これが初めての授業だった。その後、同世代のいとこたちを紹介すると、すぐに打ち解け、今でも連絡を取り合う仲になった。おそらく、もともと何かしらのつながりがあったのだろう。
2023年7月、彼を連れて花蓮県豊浜郷の港口部落を訪れた。同じ年齢階級(kapot/selal)の家庭に一週間ほどホームステイさせ、部落の若者たちと共に山へ海へと出かけ、アミ族の豊年祭を肌で感じてもらうためだ。きっと、この体験が彼の中の好奇心をさらに刺激し、民族の神秘的なベールに近づきたいという思いを強くしたに違いない。
実のところ、私自身の人生もまた、常に「ルーツ」を探す旅であった。アミ族は言語はあっても文字を持たない民族で、家族の歴史を辿っても数代前で途切れてしまい、いつも歯がゆい思いをしてきた。母系社会であるため、母方の系譜はある程度たどれるが、父方はほとんど何もわからない。私は台東県成功鎮で生まれ育ち、子どもの頃は牛の世話ばかりしていた。中学校に入っても教室が整備されておらず、18歳になってようやく中学課程を終えた。その後は台北に出て、昼は働き夜は学ぶ生活を続けながら高校を5年かけて卒業した。大学卒業後、国立政治大学で6年間勤め、やがて自費で日本へ留学。そこで働きながら学び、8年かけて東京大学の国際学修士と社会学博士を取得した。留学中は暇を見つけては図書館や資料館へ通い、族譜に関する記録を探した。人生には、時に思いもよらぬめぐり合わせがある。私が日本に渡って「ルーツ」を探す資料を求めていた一方で、Tora(本冊子の編集者)は台湾の部落を訪れ、人々と触れ合いながら、源流を見出していた。彼のほうが、私よりずっと早くたどり着いたのだ。帰国後、政治の世界に入り、6期にわたり立法委員を務めた。その間も、自分が何者かを忘れたことはない。日治時代の戸籍謄本を手に、家族の族譜を編もうとしてきた。今は退職したが、毎日オンライン辞典《阿美語萌典》の編集を続けている。もうすぐ30年になる。言語は単なる道具ではない。記憶の器であり、祖霊と未来をつなぐ橋であり、そして最も深い「ルーツ」だ。アミ語には、民族の暮らしの哲学が詰まっている。言葉を失えば、過去とつながる方法も、未来を支える力も失ってしまう。
二十代という若さで、この険しいルーツ探しの道を選んだ彼の姿は、本当に心を打つ。これは単なるノスタルジーではなく、生命の本質を問い直す行為である。この目まぐるしく変化する時代において、ルーツを辿ることは、「忘却に抗う勇気」なのだ。自分がどこから来たのかを知ることで、自分がどこへ向かうべきかが見えてくる。自分が何者かを知れば、他人に定義されることはない。足元に根を張っていればこそ、人は自らの方向と原動力を見出すことができる。彼のプロジェクトは、単なる一つの家族の物語にとどまらない。それは、すべての人に向けた贈り物にもなるだろう。出自がどこであれ、どの言語を話し、どんな血を引いていようと、ふと立ち止まって振り返れば、かすんでいたと思っていた「ルーツ」は、ちゃんとそこにある。アミ語にはこういう言葉がある。
「Misikor a minengneng」
──「もう一度、振り返って見てみよ」。という意味だ。この記録が、あなたのルーツを探す旅の出発点となることを願ってやまない。










