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歴史

台湾原住民音楽の歴史変遷と現在

2025.1.5

2024年11月下旬に『PASIWARI』と呼ばれる台湾原住民族の音楽をフィーチャーした野外音楽フェスに参加した。事前に台湾原住民の音楽シーンをリサーチし、注目のアーティストの楽曲をいくつか聴いてみたところ、伝統的なメロディーや合唱を思わせるパートが随所に感じられた。

それは、彼らが自分たちの音楽のルーツをしっかりと汲み取りながら、新しい音楽を作り上げていることを示しているのかもしれない。そして、背景には長い歴史と文化が息づいているようにも感じる。彼らの音楽が歩んだ道のりを知ることは、その奥深さや魅力をもっと感じ取るための鍵になるのではないだろうか。というわけで、台湾の音楽シーン全体を俯瞰しつつ、台湾原住民族の音楽の歴史をトレースしようと思う。

台湾の音楽シーンをさらってみる

現在の台湾音楽シーンをみると、ポップス、ロック、hiphop、R&B、ジャズ、歌謡曲、シティポップ、ネオソウルなど非常に多様だ。特に近年は日本同様にhiphopが盛り上がりをみせており、その勢いに目が離せない。こうした音楽ジャンルの豊かさに加え、台湾を象徴的にしているのは、多言語で歌が歌われていること。

台湾では、「閩南人(ホーロー人)」「外省人」「客家(はっか)」「原住民族」の四大エスニックグループ(族群)と、東南アジアから移住してきた「新住民」と呼ばれる人々も加わり、多様な文化が溶け合う社会を形成している。公用語は北京語をベースにした台湾華語だが、台湾語(閩南語をルーツとする言語)、客家語、台湾原住民族語など複数の言語を操れる人も多く、まさに人種のるつぼだ。

言語と音楽は密接な関係があり、それぞれの言語には伝統的な音楽、例えば民謡などの歌謡曲が歌われていた。しかし、グローバリズムの浸透とともに西洋の音楽スタイルが台湾に輸入され始め、伝統的音楽だけにとらわれない音楽ジャンルの楽曲制作がされてきた(この現象はアジア全体で起きている)。

他方で、歌を通じてマイノリティグループ(客家、原住民族)の独自文化や社会問題を表現し、言語保存を目的とした作品づくりも盛んだ。そういった多様化する台湾の音楽シーンを鑑みて、台湾では多言語アーティストの音楽活動を奨励している。実際に金曲奨(台湾版グラミー賞)では、台湾語、客家語、原住民諸語など言語別に賞が用意されており、各言語で活動するアーティストの功績が称えられる。近年、若手アーティストの活躍が目立ち、彼らの創造性が新たな台湾音楽シーンを牽引している。

台湾原住民族の音楽と歴史変遷

台湾音楽の概況をみたうえで、台湾原住民族の音楽の過去と現在を振り返ってみたい。

『PASIWARI』を取材する前、とある台湾アミ族の部落で伝統歌謡を歌い続けている歌い手 Osay Hongayさんを訪問し、インタビューする機会を得た。

花蓮県・太巴塱部落のOsay Hongay燕春阿嬤さん。幼少時代から地元の伝統歌謡を歌い続けている

彼女いわく、原住民たちにとって音楽は「生活の一部」だったようだ。

畑を耕すとき、魚を獲るとき、踊るとき、一息つくとき、みんなで集まるとき、冠婚葬祭などさまざまなシーンで歌っていたと話す。また、自然への感謝や祖先とのつながりを表現するために歌われていたことも彼らの文化を理解する上で重要な点だ。

いったいどんな歌なのか、まずは実際に聴いてもらいたい。以下のアルバムには台湾アミ族の伝統歌謡がいくつか収録されている。

台湾原住民の伝統歌謡の変遷を大きく5つの時代に分けてみてみよう。

伝統期(1945年以前)

各部族が独自の伝統歌謡を持ち、儀式や生活の中で歌い継がれていた。日本統治時代には日本語教育の影響を受け、日本語の歌詞を取り入れた歌も生まれた(Osay Hongayさんの歌にも一部日本語が混ざっている)。

過渡期(1945-1960年代)

戦後、中国国民党の中国語(標準中国語)政策の影響で、歌詞に中国語が増えていき、伝統歌謡と近代的な音楽要素が融合し始める。台湾原住民の日常生活を中国語・原住民諸語のハイブリットで歌う「山地歌」というカテゴリーが社会に認識されるようになった。ちなみに台湾の有名歌手テレサ・テンも何曲か山地歌を歌っている。このときから大衆文化・商業としての音楽消費の萌芽がみえてきたようだ。

発展期(1960-1980年代)

レコード産業の発展により、多くの原住民アーティストが録音を残すようになる。メディアへの露出も高くなり、伝統的な旋律に現代的なアレンジを加えた新しいスタイルが確立され、原住民のなかでスター歌手が誕生し、ヒット曲が生まれた。

転換期(1980-1990年代)

カセットテープの普及により、音源を残すハードルが低くなり、原住民の若手歌手が増え、新しい創作歌謡が次々と生まれた。このときから電子楽器などを音楽に取り入れるようになった。

現代(1990年代後半以降)

この時代に台湾原住民音楽が世界進出することになる。
発端は、ドイツの音楽グループEnigmaが、台湾アミ族 郭英男(Difang Tuwana’)の〈老人飲酒歌〉をアルバム曲にサンプリングしたことだった。なんとその曲がアトランタオリンピック(1996)のCM広告に使われ、思いかけずアミ族ひいては台湾原住民の音楽が国際デビューを果たす。

実際のCM広告がこちら

これまで原住民音楽にほとんど関心を持たなかったメディアや音楽業界も、反応せざるを得ず瞬く間に台湾の流行音楽界で原住民音楽ブームが巻き起った。知名度が一気に上がった原住民音楽はポピュラーミュージックの仲間入りをし、以降は多くの優れた原住民族アーティストが登場し、海を越え多くのリスナーを熱狂させることになる。

自らが原住民であることと向き合い、その意味をアップデートし、自然を愛すること、祖先と共にあること、大切な家族・仲間と生きること、それらを音楽にすること。

伝統を保ちながら現代的な発展を遂げ、台湾音楽界の重要な一部となっており、文化的アイデンティティの表現手段としても重要な役割であることは間違いない。

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